はじめに

嫌われる勇気を読んで、とても興味深かったので、続編と言われる本書を手にとった。
前回同様気になった箇所について、簡単なメモを書いていく。

教育の目標は「自立」である

これは以前からそう思っていた。
育てる側は少し寂しいかもしれないけど、それで良いのだろう、多分。

尊敬とは「ありのままにその人を見る」こと

これはスッと入ってこなかった。
たったそれだけのことで良いの?とも思えるし、もう少し相手を褒め称える感じが必要な気もするし。
アドラーに言わせると、僕にとっての尊敬は「信仰」だったり「従属」と定義されるのかもしれないが、んー、そうなのだろうか。

人をまっすぐと見て、あるがままを受け入れるというのは、どんな感じなのだろう。
無関心で逃げるわけでもなく、受け入れる状態っていうのは、なかなか言葉で言われても良くわからない。

「他者の関心事」に関心を寄せる

これはとてもわかる。
自分は、比較的他者に関して関心を持ちやすいのだけど、それは出会ったばかりだったり一時的に興味を持つことができるという程度。
他者の関心事にどこまで関心を寄せ続けることができるかというと、なかなか難しい気がする。
自分の中でその人のことを見定めてしまうと、関心を持ち続けること自体も難しくなる気がする。

逆に関心を持ち続けることができている人というのは、自分が尊敬できている証拠といえるのかもしれない。
面白い。

「変われない」ほんとうの理由

変化することは「死」そのものなのです

これは納得させられた。
変化するということは、今までの自分を捨てることでもあるのだから。
やはり過去の自分を正当化したい気持ちが誰にだってあるんじゃないだろうか。
既存の自分の価値観や成功体験がそれを邪魔をする。

今までの自分が比較的好きだからってのもある気がするけど、これって言い訳なんだろうか。

アドラー心理学に「魔法」はない

薄々感じてた。

叱ってはいけない、ほめてもいけない

この本では、学校における教育の話がメインなのだが、教師は子供に対して叱っても褒めてもいけないらしい。
この話を読んでいて思い出したのが、自分の高校3年の教師のことだった。
その人は、本当に私達を大人扱いした。
それが個人的には衝撃的で、大事な高校3年の担任に変な先生がなってしまったなと思った。

今思えば課題の分離が完全になされていたんだろうと思う。
一番最初のホームルームの時に「受験頑張ってね、頑張るのはお前たちだから、俺じゃないからな」とはっきりと言われたことをよく覚えている。
当時はとても突き放された気がして、心細かった。

そんな変わった先生だったが、不思議と教室は荒れなかったし、とても印象に残る1年間を過ごすことができたと思う。
今思えば、この体験は貴重だ。

問題行動の「目的」はどこにあるのか

問題行動には5⃣つの段階があるらしい。

  • 称賛の欲求
  • 注意喚起
  • 権力争い
  • 復讐
  • 無能の証明

最初にひたすら褒められたくて、次にとにかく注意を自分に向けさせようとする。
そして戦いを挑んでくるようになり、自分の力を証明しようとする。
そのうち勝ち負けはどうでもよくなりただ復讐に取り憑かれ、最後は自分は無能だからほっておいてくれという無気力な状態になる。

この本では生徒と教師という関係の中で説明がされていたが、案外どこでも通用する理論なのかもしれない。
まあ、ある程度親密な関係というか、そういう中でしか発生しないのだろうけど。

怒ることと叱ることは、同義である

違うと思っていた。
けど一緒らしい。

暴力なり感情的な態度で相手をコントロールしようとするのは、とても程度の低い乱暴なコミュニケーションというのは納得。
コントロールしようとするのではなく、根気強く説明するしかない。

けど、コントロールできれば程度が低かろうがそれで良いと思っている人もいる。
そういう人とは、付き合い方を考えたほうが良いのかもしれない。

まあ、自分がそれでよければの話なのだけども。
課題の分離を使って、自分の課題として考えれば良いんだろうな。

うーむ、なるほど。

「ほめて伸ばす」を否定せよ

ほめることは”能力のある人が、能力のない人に下す評価”であり、その目的は”操作”である

理屈はわかる。
けど,褒められると嬉しいのだ。
ずーっと褒められない人間ってどんなふうに育つんだろうか。
自分も子供の頃は、親や大人に褒められるというのが、一つの大きなモチベーションだった気がするし。

感謝することは問題ないという。
つまり対等な立場の横の関係での言葉は問題ないってことなのだが、案外褒められなくてもそれだけで事足りるのかもしれない。
んー良くわからない。

褒賞が競争を生む

まずアドラーは競争を認めていない。
競争相手は敵になってしまい、信頼できなくなるからだ。
全部が全部そうならないだろうけど、そうなりがちなのは間違っていないと思う。

スポーツチームの中でよくある競争みたいなのって、どうなんだろう。
あれはあれで成立している気がするのだけども、競争原理を用いずにどうやって全体の能力を引き上げるのか。
アドラーの理論だと、選手全員が精神的に成熟していないと、なかなか成立しないんじゃなかろうか。
今自分が生きている世界とは、ちょっとかけ離れている気がする。

まあ、ライバルがいるのは良いとして、ライバルに勝つことが目的になってしまっているとそれは違うので、そんなケースを想定しているのならとても納得できる。
つまり、ミスリードしやすいって話じゃないかと。

どこかのマネジメント研修で、部下を競争させることが良いことだということを習ったことがあるのだけども、真逆のことを言ってて混乱する。
揃っているメンバーの精神的な成熟度で変わってきそう。

また民主主義を貫くべしとも書いてあるので、まあ基本的にそういうことなのかもしれない。
最近、民主主義とか民主化とか目につくようになってきた。
なんだか大げさな気がしないでもないのだが、避けて通れない気もするし、どうしたもんかなという感じ。

「わたしであること」の勇気

「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これを「自立」と呼びます

これを読んで、自分は完全に自立できていないと思った。
どこかで、他者に自分の価値を決めてもらいたいと思っているところがある。
積極的にではないけども、評価されるとやはり嬉しいし、依存したくなる気がする。
いつもというわけではないのだけども。

自立の定義がたくさんあって混乱する。
自立とは案外難しいことのかもしれない。
今親が死んだら、自分は不安定になると思う。
それは一つ自立できていない証拠と言えるのかもしれない。

すべての喜びもまた、対人関係の喜びである

すべての悩みは、対人関係の悩みであるなら、その逆もしかりということらしい。
それはそうなんだろう。

「信用」するか「信頼」するか

「信用」とは、相手のことを条件付きで信じること

ビジネス上の関係が主に信用らしい。
銀行が融資したりするもの、ちゃんと担保するものが確認できて初めて「信用」ということになる。

「信頼」とは、他者を信じるにあたって、いっさいの条件をつけないこと

信用と違って、担保などがなくても信じること。
交友関係はこれに該当する。
で、信用ではなく信頼を目指していきましょうという話らしい。

社員に会社のクレジットカードを渡して、好きに使わさせている会社がどこかであった気がするけど、かなり信頼していると言えるのではないか。
自分の場合、友達でも自分のクレジットカードを渡せない気がする。
そう考えると、その会社凄すぎる。

自己信頼あっての、他者信頼

他者を信頼するためには、自分を信じなければいけない。
何も担保や根拠がないのに信じるのだから、自分を信じなければ成立しないからだ。

まあ、それはわかるのだけど、自己信頼がまず難しいんじゃなかろうか。
大きな決断をする時はいつも自分を信じられなくなっている気がする。
その自信、どこから持ってきて良いのやら。

人と人とは、永遠にわかり合えない

だからこそ信じるしかないというロジック。
納得。
そして、なんという消極的な結論。
が、年齢を重ねるごとに、薄々感づいてはいた。

まあ、やっぱり個体として独立しているのだから、分かるわけがないんだろう。
そもそも自分のことさえよくわかっていないのに。
困ったもんだ。

「愛される技術」から「愛する技術」へ

ここで話しているのは、「人間の愛」。
前提として、愛するという行為は、自然発生するものではなく、コツコツ自分が能動的に働きかけて築きあげていくものらしい。
信念を持って、信じ続ける&与え続けるもの。
なんだか恋愛と結婚の違いのような趣を感じた。

人を信頼するという行為は、とても能動的なものらしい。
まあ、勝手にいつのまにか信頼できているって状態は、確かにあまりないのかもしれない。
無償の愛を与えてくれる母親と子供みたいな関係は、やはり特別なんだろう。

他者を愛すること、愛し続けることっていうのは、基本的に難しいことなんだとアドラーは言っている。
他人と長い時間一緒に生活すると、それは痛感する。

愛とは「決断」である

そういうことになるだろう。
この人と結婚すれば、幸せになれるとか、受け身の考え方ではなく、私達は幸せになるだという能動的な考え方が大事なんだろうということだ。

成功する方法は、成功するまでやりきることみたいなのと似ている気がする。
まあ、いうのは簡単、やるのは難しい。

おわりに

最終的には愛がどうこうという話になり、ちょっと抽象的になりすぎて、あまり参考にならなかった。
人間が感じる幸福感にとって、他者の存在が大きのだろうなとは思うようになったけど、全方向に対して愛していくというのは、今の自分には到底できない。

ありきたりだけど、まずは自分を愛するということから、やり直しってことなんだろうなと思った。

今度は仕事の場面でどんな感じに使えるのか、分かるような本を読んでみたいなと思った。